久しぶりに日本語の日記です(^^ゞ
今日授業で気に入らない文章読んだ、それは何年間前日本で大きな問題になったネット心中、つまりネットで知り合った人が一緒に自殺するって言うことのコメントの文章、その作者はすべての問題を個性を重視する教育のせいにした。
その作者は、今の若者たちは個性重視の教育で育てられ、自分の未熟を個性だと思い、まわりがそんな自分を理解してくれないため、ネットで知り合った同士を自分のこと理解してくれると思い、心中する結末になったって言う
まず気に入らないのは、その作者が使ってる言葉はほとんど「であろう」や「と思う」などの推量を表す単語で、そんな自分の思い込みを世の中の常識にすること。ふざけるな!君の思い込みは単なる君の思い込みだけ、すべての人間が君と同じ考え方を持つって、そう思う君は成熟しているのか?
次、その記事はあくまでも新聞に載る記事だから、もう少し言葉遣いを気をつけていただきたいこと、「屁の役にも立ちゃしない」や「いい加減OOをやめたらどうだ」みたいな汚い言葉や自分の感情だけで判断する言葉、君こそ「いい加減」やめたらどう?
そして最後、なんと言ってもその作者の考え方にはどうしても賛成できない、個性を重視する教育は欧米では普通にやっているのに、なんでそれらの国ではこういうネット心中などの事件はないのか、なんで日本だけこんな事件起こったのか、若者は未熟な自分を本当の自分だと思って理解されなくて当然だって、君は本当に理解しようと思ったのか?未熟だから考え方が理解されなくて当然だって、それは単なる考え方が分からないに過ぎない、分からないから理解しようとしないに過ぎない、本当の「理解」というのは、お互いに話し合って、自分の考え方を相手に述べ、相手の考え方を聞き、その上でお互いの考え方を分かるようになり、それこそ「理解」なのだ、話し合いもせず、ただの「おまえの考え方が分からない」や「とりあえず親の言うとおりやれ」などの言葉で、理解しようという気持ちさえありもしない、それって本当に理解されないと言えるのか?
なんで若者は理解されない?子供にとって親は一番親しい人なのに、なんで大きくなったら親と話しもしなくなってしまった?それはまず自分を理解してもらってる親さえ自分を理解しようともしなくなって、あるいは親と話し合う時間もなくなってしまって、結局お互いの考え方が分からなくなってしまったのだ
そんな理解してくれない理由を無視して、「個性を重視する教育」を自殺のせいにして、君みたいな若者を理解しようともしていない人は本当にこんな記事を書く資格はあるのか、もう一度考えていただきたい